輸入品商売で終わらせなかった寺田和正。

寺田和正は大学を卒業した後に野村貿易という商社に就職し、3年間の勤務を経験したそうです。

この時期に寺田和正が何を学び、どんなヒントを得たのかは不明ですが、その後の自分の進路をかなり戦略的に考えて入社していたことは、想像に難くありません。

仕事の中身がどうあれ、商社というのは日本はもとより、世界中から聖域なしにさまざまな商品を輸入し売りさばく職種です。

彼はおそらくこの商社時代に、何をどこから仕入れれば効率の良いビジネスを成立させることができるかを習得したのでしょう。

また3年間という就職期間も一般的な常識でいうと短すぎます。

ある特定のテーマや事柄のマスターを目的に、そのためだけに就職したと考えるのが妥当です。

事実寺田和正は、退社してすぐ1991年に25才の若さで海外ブランのド輸入代理店を設立し、法人会社を興しています。

大学時代にカナダへ留学していますから、おそらくその時点で自分なりのビジネスを考え、商社の道を選んだと思います。

「会社の設立資金は、その留学時代に行なったアルバイトのお金」と本人も語っていますから、実業家の夢と設計図は、実家にいた鉄工所のころに描きはじめ、大学で知識を得て商社を視察しに就職したという感じです。

しかしサマンサタバサが生まれたのは、「既製品の輸入物では顧客を喜ばすことはできない」と知ってから。

事実上失敗した寺田和正は早々と戦略を切り替え、自社によるオリジナルバッグ、サマンサの製作に取りかかります。

そうは言っても、彼自身にバッグをつくりだす技術もセンスもなく、「どうすればそれが可能になるか」と戦法をひねり出したのが、「女子従業員による女子目線による、女性のためのバッグ」でした。

その結果、女子大生に喜ばれ、雑誌とモデルで火がつき、現在に至っています。

寺田和正といえども、成功には過去の苦い失敗が肥料になっています。

◎参照ページ>>仕事の達人|株式会社サマンサタバサジャパンリミテッド 代表取締役 寺田 和正 氏|転職@type